薄板・微細・精密金属加工のこだま製作所の「大阪テクノマスターブログ」です。

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素晴らしい機会をいただきました。

2016年11月05日
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平成28年11月3日 大阪府立国際会議場(グランキューブ大阪)にて
京都フォーラムが開催されました。
その場で、少しの間ですが、こだま製作所としてお時間をいただきました。

実心・実学・実践 そして、「態變」。
モノづくりの「道」を、高めてまいります。
素晴らしい機会、素晴らしい仲間に感謝です!





「世々代々公共文化美術館」
※文面、京都フォーラム配布資料より

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書道家 杭迫柏樹
「霊機」により「應機」が働き、「態變」に至る
書家は暁に、活断層盆地の推積層に含まれる豊かな地下水を汲み、正座して大地をつかさどる神に祈りを捧げて炭を磨る。そして大地に生きた動物の、丁寧に整えられた毛の筆をとる。これらの命が、時間と空間の座標、
つまり四次元の世界に実在する書家の身体の無駄のない動きによって、人類の持つ文字となり、紙に固定される。四次元の世界が紙という二次元の世界に、みごとに投影されるのである。そこに杭迫柏樹の人となりを含めた二次元の世界が出現する。そして千年を超える未来へと続く時空の中で、いや無限の時間と空間を超越して、
この杭迫柏樹の世界が人々に感銘を与え続けるのである。
※書 杭迫柏樹に寄せて 尾池和夫(元京都大学総長) より抜粋




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水墨画家 山田大作
色を感じるのは脳の働き、モノクロから感じるのは心の働きだと山田大作は言う。墨で描かれた絵は色を排することにより、観る側の感性で無限に色彩が広がる。水墨画は、さらにモノを省くことによって、観る側は描き手に導かれて画の世界に入り、魂が響き合うことで昇華されて行く。水墨画は、墨を通した心の交流の場である。引っかかった枯葉の蜘蛛の糸の揺らぎに風を感じ、泳ぐ鯉の姿に水を感じる。千手観音は黄金の輝きを放ち、龍の首は
動いてその眼は観るものを捉える。早春の池でまどろんでいた鯉はやがて滝を登り龍となる。それが山田大作の世界である。墨と水、そして心で描く。ともに浄化された三つの要素と見る側の心が重なって気韻生動の出会いとなる。画の世界は龍の眼を描くことで画家の品格が解ると言われている。山田大作の龍は気韻生動に始まる画法十法の画竜点睛(完成形)である。




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写真家 増浦行仁
"眼には見えないものを撮る"をテーマに撮影し続けてきた増浦行仁は、被写体そのものではなくその内面を映し出そうとしている。殆どの写真はすべて自然光で撮影されており、人工の光を排することで被写体そのものの光が現れる。その光りが観る側の内面を輝かせることが出来れば、写真は気韻生動の「作品」となる。和紙に広がるモノクロの画像は、書や水墨画の世界観とも繋がっている。観る側は、色彩という視覚的な情報から解放され、自由に自らの感性を高めることが出来る。遷宮作品集「神の宮」は単に神事を記録しているのではなく、そこに込められた精神性を表現しようとしている。古来の物事である遷宮は時代に応じて態變し続けることで1300年以上も継承されて来た。つまり万物とともにの生きるという日本の自然観こそが態變であり、CSRと言える。「神の宮」は世々代々公共する人の道の媒介ともなる。



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